これから1年〜2年の目標、何をするつもりか

1年から2年、精神と時の部屋にこもって修行をするつもり。それがきっと自分の人生を豊かにしたり、誰かの役に立つことに繋がる気がしてる。

修行といえば聞こえはいいけど、40代にもなって、10代や20代にしていたようなことに戻り、あの頃に足りなかったものを取り戻すかのような時間を送ることに恥ずかしさとか、社会に対する申し訳なさのようなものも感じる。

僕は年齢に頓着がない。けれど、社会的に40代といえば、これまで培ってきたものを発揮し、社会に還元する年代なんだよな、とも思う。

20代30代の後世代と、仲間として交わりことを成していく。後世代だからこそもつ才能を安心して発揮させる場を設け、責任は自分がとる。時間を少しだけ先に生きている者として得た知識や経験をメタ的に集約したもの、読書などから得たもの、隠し味的に「サンプル1」である自分の経験とを踏まえて、ときに未だ荒削りの彼らに少しだけ示唆を与える。そして、自分もまた未来に向けてアップデートするために、後世代の持つ感覚を吸収させてもらう。50代60代の先達に恩返しとばかりに力を発揮するのもこの頃だし、その年代が必要な変革を妨げたり、悪しき慣習に甘んじていると感じたら、いよいよ力をつけ組織上の地位を得てきた40代だからこそ抗うこともできる。そういう形で社会に存在するべき時期に。精神と時の部屋、とか。ドラゴンボールかよ、とか。

けど、40代まできた今だからこそ、やるべきときのような気もする。

再構築。リストラクチャリング

がむしゃらに頑張ってきた20代30代があった。多くの人が一生懸命頑張っている。その一人ひとりの営みは、結果社会に貢献するものとなっている。僭越ながら、僕がやってきたこともそうだったはずだ。しかも、それは、おそらく社会的にとてつもなく価値あるものだったと思う。そういう自負がある。そういう力が自分には備わっていた。才能が与えられていた。そうした才能は社会に還元すべきだ。なぜなら、そうした才能は社会から与えられたものだから。自分の利益にしてしまうとバチが当たる。社会に還元し社会がより豊かになり、ペイフォワードしていくことが良い。根本的にはそう思っている。

僕は40代にして、幸い1年2年の時間をそうしたことのみに没頭できるだけの経済的蓄えが少しだけある。こういう環境もまた賜物といえるだろう。感謝している。

だから、僕はこの1年2年の精神と時の部屋での時間を過ごした後、またそうしていきたいと思っている。

辿ってきた20年を振り返り、この先の20年を朧げながら見ることのできるこの年代。今の20代30代で僕が素敵だなと思う人たちに備わっているもの。あるいは50代60代になったときこんな風になっていたいなと思う人たちに備わっているもの。僕が素敵だと思う人の人となりの元になっているもの。そういうものを補いたい。

かつて、頑張ってここまでの社会を作ってきてくれた人たちがいて、今のこの少なくとも物質的に豊かで凋落しつつあるが経済大国となった日本があって、僕はその恩恵を受けている。その点、感謝しかない。未来に至ったとき、そのときの価値観に照らして正義をもち、過去を断罪することは僕の信念に反している。あのときは、それが正義だったんだ。一生懸命考えて、それが正しいと思って頑張ってきた。

けれど、そのおかげもあって時代が変わった。単純労働を行っていれば豊かに暮らせた時代とは違う。AIに仕事がとって変わられる時代と9:00-17:00で無口にものを作っていた時代とは必要なものも変わってくる。

まだ、AIに関する書籍に手をつけていないが、機械学習が進んでも、ディープラーニングが進んでも、心、つまり感情の類をもつことは、今のAIの延長線上では難しいはずだ。

だとするなら、これからの時代は、心、感情、感性、そうしたものに価値がどんどん置かれていくのだろうと思う。

虚業YouTubeを生業としたり、ブログを書くことを生業としている方たち。彼らを虚業という人は、何を実業と考えているのだろうか。

いまや、心や感情を満たすものが求められていると思う。YouTuberが虚業ならマスメディアだって虚業だし、ブロガーが虚業ならWIREDだってBLOGOSだって虚業。映画も音楽もディズニーランドも虚業だろうと思う。けれど、そんなのどうだっていい。

機械学習の延長線上にある近未来では、AIが持ち得なくて、人が持ち得ている『心』に関連するものがカギになるとAIに関連する書籍の多くに書かれているのではないかと予測する。

AI発展とともに繰り広げられるビジネス界。その一方で価値を置かれていくであろうこと、あるいは、ビジネス世界での展開にも必要なものとなるであろうこと、それは『心』に関するものだと僕は予測する。

そんな時代に向けて、自分を再構築したい。学ぶ、感性を豊かにする、体を鍛える。そうしたシンプルな柱、とにかくそうした時間に身を浸すこと。それが精神と時の部屋で過ごす目的。それが僕のやりたいこと。