小説|『いま、会いにゆきます』市川拓司

2003年に刊行された小説。

翌2004年に映画化され(竹内結子さん・中村獅童さん主演)、2005年にはテレビドラマ化(ミムラさん・成宮寛貴さん主演)もされた。

他にも2018年韓国でリメイクされていたり、実現はされていないけどハリウッドでもリメイクの話が上がってたらしい。

ちなみに、僕は映画もドラマも観てません。気が向いたら観てみようかな。しかし、竹内結子さんの富士額ってきれいよね。

概要はWikipediaを参考に。

ja.wikipedia.org

人生とは、幸せとは、大事な人とは、記憶とは、そんなことを色々と感じさせてもらった作品。

以下、感想。おそらく読み終えた人でなければ辻褄が合わない気もするけれど、勘の鋭い人は骨組みだけでわかってしまうので、未読者で先を知りたくない方は読まない方が無難です。

【感想1】短くて儚い、そんな結末がわかっていても選ぶ人生

澪は短くて儚い幸せを選んだ。その短さ儚さを覚悟しながら選んだ。

しかし、すぐに彼女の言葉は途切れた。うつむき唇を噛みしめる。薄い唇の間から八重歯の先端がのぞく。
目を閉じ、一筋の涙をこぼす。
「つらいな」
彼女は言った。
「行きたくないな。まだ、ここにいたい。佑司が大きくなっていくのを見ていたい。あなたのそばにずっといたい」
彼女は「ふう」と息を吐き、顔を上げた。

だからこそ、お別れの時は、ほんとうにつらかった。私はアーカイブ星に行ってしまうんだって本気で思い込んでいたから。あなたたちと離れるのは寂しかった。

こういう思いを澪は二度したのだし、二度することを知りながら選んだ。

短くても儚くても「つらいな」と感じる出来事が待っていたとしても、たっくんと佑司との幸せを選んだ。

「過去に戻れるなら」って思うことが僕にもある。それでもやはりあなたを選ぶという選択。辛いことがあろうと儚かろうと、あの人と過ごした時間、あの人と交わした出来事に存在する幸せを選ぶ。特別なことがあったわけじゃない。何気ない日常に含まれる、その幸せを求めてそう選べることもまた幸せなことだと思う。

【感想2】そうして覚悟して選んだ7年間の人生は、ひとつひとつの出来事を噛み締めながら歩んだんだろうなと思う

澪は「あの小説」をすでに読んでいた。

『澪が死んだとき、ぼくはこんなふうに考えていた—』から始まる「あの小説」。

最初の言葉はそうすぐに出てきたし、そこから先も『あらかじめ文章を書き写すみたいな感じで、どんどんと言葉が溢れ出てきた』「あの小説」。

ノンブル先生が言ってた『胸一杯になった言葉がいずれ溢れ出てくる』という言葉が思い出されるほどの。

ぼくはアーカイブ星のこと、佑司のこと、事務所の仕事のこと、ノンブル先生とプーのこと、それに週末のランニングと工場跡のことを書いた。まずは今の生活を書いてから、徐々に澪との思い出を書いていくつもりだった。

ノート上に描写されたぼくと佑司は、なんだか実際のぼくと佑司よりもずいぶんと幸せそうだった。

本当に辛いことは書かなければいい。そうすれば彼らは幸福でいられる。そして、幸福な彼らを書くことはとても楽しかった。

ぼくは夢中になって、自分たちの分身に時間と空間と言葉を与えていった。与えた時間は、つまるところぼくの失った時間でもあった。

そんな「あの小説」を読んでいた澪は、たっくんの家に電話をかけてからきっと一つ一つを振り返るように、21歳から28歳の7年間を過ごしていったのだろうと思う。「これがあれか」と小説に描かれた幸せをなぞるように、小説に書かれた輪郭が彩を帯びていくのを感じながら。

事故からひと月過ぎた頃から記憶が蘇ってきて、勝手に作り上げた幻想だと思って、なんて素晴らしい幻想だろうと思って。

私はあなたたちとの6週間にどうしようもなく魅せられていました。あなたとの口づけ。森の散歩。私の子供だという美しい男の子。二人で抱き合ったときに感じた胸の高鳴り。

あの喜びは本当のこと?

きっとこれは真実なんだ。

そう感じてからの7年間。

些細な日常。お金とか、遠くに旅行に行ったとか、壮大な景色をみたとか、そんなのがなくったって感じる幸せ。イライラすることも、喧嘩することもあったろう。その感情自体はあったとしても、一度死んでいる澪は、きっとそうした負の感情を感じられること自体に幸せも感じていたかもしれないと思う。無くたって幸せであるもの全てが幸せってどんだけですか?っていう。

【感想3】『人は人生を選ぶことはできないんだから』に感じたこと

この小説で初めてノンブル先生が出てきたシーン。

「それが何であなたの呼び名に?」
彼は小さくかぶりを振った。あるいはただ、ふるえていただけなのかもしれない。
「何でだろうね?もしかしたら、まわりの人たちは私の人生が空虚だとでも言いたかったのかもしれないね。いくらめくっても白紙のページばかりで、ただノンブルだけがふってある本のように」
そうなんですか?と、ぼくは訊ねた。彼は老人特有の濁った涙目で宙を見つめていた。
「私の人生は、ただ妹のためだけにあったからね」
15歳までは生きられないだろうと言われていた妹を、妹が14歳の頃から亡くなる44歳までの30年間、妹の最期を看取る覚悟で二人だけの生活を送った。ノンブル先生は27歳から57歳まで。思いを寄せる人もいたし、随分とお金もかかったけれど、まずは妹のことを第一と考えて。
そうやって月日は驚くほどの速さで流れていった。
ほんとに速かった。私だけ特別なのかもと思ったよ。おそろしく頭のいい誰かが、私の時間を掠め取っているんじゃないかとも疑ったくらいだ。
とにかく、あっという間に時は過ぎた。
たしかに私の本には書くべきことは何もない。最初のページに、なんと言うことはない、つまらない男の一日を書けば、あとはずっと「右に同じ」とでも記しておけばいいんだからね。
信じられるだろうか?そんな生活が30年も続いたなんて。
妹は44歳で死んだ。そのとき私は、あと3年で60歳になる年になっていたんだよ。
でも、ひとつだけ言えるのは、そんな私の人生だって、決して「空虚」なんかじゃあなかったってことだ。なんと言うことはない、つまらない男の人生にだって、ちゃんと中身は詰まっている。からっぽじゃないんだよ。
ささやかではあるけれど、喜びだって感動だってあったからね。一日の仕事を終えて家に帰り、私の帰りを待っていた妹にその日の出来事を語って聞かせるのは、なんて言うか、楽しいことだったよ。
それが私の人生だよ。
もし、別の人生を送っていたら、きっと私とは別の人間がここにいるのだろうしね。人は人生を選ぶことはできないんだから。

人生を選ぶことはできない。実際は選んでいるけれど。でも、抗えない何かがそこにあったり、捨てきれないものがあったりもする。だから、自分の意思を反映させることのできる範囲はごく限られてる。そうして人生を送っていって、今の自分がここにいる。

『妹の最期を看取る覚悟で』ノンブル先生がどこか悲しげで刹那を感じているようでいても、何かを信じられているように感じられるのは、きっとこのせいなのかもしれない。

だから、本当は選んだとか選んでないとかはあまり関係ないのかもしれない。生きることにおいて大切なのは、信念なのかもしれないと思う。

【感想4】何に幸せを感じるか。何を記憶に残すのか。どういう形にして残すのか。

「実は小説を書こうと思うんです」
「素晴らしい。ほんとに素晴らしい」
「思うよ。小説は心の糧だ。闇を照らすともしび、愛にも優る悦びだよ」
「全てを忘れてしまう前に残しておこうと思って。ぼくらのことを」
「忘れるってことは悲しいことだね。私もほんとにたくさんのことを忘れてしまった。記憶とは、もう一度その瞬間を生きることだ。頭の中でね」
「記憶を失うということは、その日々を生きることが二度と出来なくなるということだ。人生そのものが指の間から零れていくみたいにね」

そして、たっくんが佑司にアーカイブ星のことを説明するシーン。

アーカイブ星をつくった『誰か』は、こういうものが大好きなんだ。だからこの星に住んでる人たちは、『誰か』のために本を書くんだ。前にいったよね、みんな考えてるんだって。アリストテレスニュートンも難しいことをずっと考えてるんだって」
「そお?」
「うん、言ったんだ。そしてニュートンでもプラトンでもいいけど、その人たちは地球で考えても答えられなかった難しい問題をアーカイブ星に行ってもずっと考え続けているんだ。何百年もね。地球人が憶えている限り、その人は、ずっと考え続けることができる」
「うん」
「で、何か答えが出るたびに本を書くんだ。そして、その本はアーカイブ星の図書館に収められる」
「ママの本は?」
「ママも本を書くよ。佑司とパパのことが書いてあるんだ」
「その本を『誰か』は読むの?」
「読むよ。『誰か』はこの本がとくに好きなんだ。人間の愛について知ることができるからね」

その人の人生はその人が決めることだ。選べなくても決めることはできる。何に幸せを感じるか。何を記憶に残すのか。どういう形にして残すのか。

アーカイブ星はどこか遠くにある星じゃなくって、まして死後の世界の話でもない。僕の一番身近なところにあって、僕の中にあるのかもしれない。そして、人間の愛について知ることができるママの本を特に好きな『誰か』は、たっくんであり佑司であり、僕もまたその一人何だと思う。

結末にどんでん返しがあるのかもとそろりそろり読み進めていくうちに、そんなものはないんだっていうのを少しずつ感じるにつれて、ストーリーに流れるその日常ひとつひとつに幸せを感じた。

誰も彼もが優しく愛に包まれていて穏やかな時間が流れていた。脳裏に浮かぶ情景が必要以上に美しく幻想的に映るのは、その描写と優しく愛に包まれた表現によるものかもしれない。

最後のアーカイブ星から届いたママの短い本は涙が止まらなかった。