小説を読む、読み終わるたびに薄皮が一枚剥がれて、世界の解像度が上がる感じ、気持ちいい

これから1年間かけて小説を100冊読みたいと思ってる。まずは、2年目に入って1年目にどれだけ読めたかに応じてもっともっと読みたい。

小説というものにハマるようになったのはここ数年の話。30代も終わりを迎えそうな頃。決して小説を毛嫌いしていたわけじゃない。小中学生の頃は国語の授業が大好きだったし、大学時代にリチャード・バック の『かもめのジョナサン』を読んでは没頭し、太宰治の『人間失格』を読んでバイブルだと思ったくらい好きだった。赤川次郎の作品もいくつか読んだ記憶がある。面白いとは感じてた。けれど、小説を読むのは時間がかかる。そして、スイッチが入るまでもかかるし、読み始めて少ししたら眠くなるし、文体が自分の肌に合っていないと砂に足を取られるくらいの負荷がかかって疲れたりもする。だから、そこまでハマることはなかった。

しかし、ここ数年前。あらためて太宰治の『人間失格』を読んで身震いした。その人のなんたるかみたいなもの。そして、梶井基次郎の『檸檬』を読んでセピア色をした大正時代の物語にくっきりと浮かぶレモンイエローの色彩を感じ、一方で主人公が持つ鬱屈とした心理、それがまた檸檬の色を際立たせるようで心が反応した。

そして、また別の場面でふと思うことがあった。それは、それまで世の中などつまらないと考えていた自分に「世界は素敵な物で溢れている」と教えてくれた人の影響だった。その人の影響で世界に色が注した途端、もっと観てみたいと思ったし、その中に小説があった。

本を持つ腕も上がらないような状態になって「夏目漱石の『こころ』も読まずにここまできてしまったな」なんて思いたくないし、臨終の際で「ああ、ドフトエフスキーの『罪と罰』はいったいどんな話だったのだろうか」なんて思いたくないと思った。

そこから少しずつ読んでいるのだけれど、読めば読むほど味わい深い。言葉がどんどん入ってくる。砂に水が沁みていくようだったり、自分の余計な物が削られていくような感じだったり。それが心地よいと思う。

読み終わるたびに薄皮が一枚剥がれて、世界の解像度が上がる感じ、これは、本当に気持ちいい。

40代になってそれなりに人生も経験して、そうして読み返した時に幾重にも重なる複雑な味が口の中に広がって心躍る。もう、完全にこれは娯楽だな。

これまで何かと時間を別のことに費やしてきたから、この1年間でできるだけ多くの小説に触れたい。世界に浸りたいと思ってる。